MINI Mk3とは。VOL.1

このブログのタイトルになっている「MkⅢ」という名称。せっかくmini-mk3.comなんて大層なドメインまでとっているのでMINI MkⅢ(Mk3)について調べてみよう。ながーくなりそうなので、まずはMk3が誕生した頃の背景から探ってみることにします。

仕様変更にともなって変わってきたMINIの名称(通称?)

MINIは1959年のデビューから細かな仕様変更を繰り返し、Mk1⇒Mk2⇒Mk3⇒Mk4⇒ゴニョゴニョ(※Mk3以降の解釈は本国と日本では若干違うみたい…)と名称(通称?)が変わります。そこんとこは調べればいくらでも情報は出てきますのでググってネ。

当ブログではMk3に絞って調査をすすめることにします。調査といっても自分がMk3の事をよく知らないので詳しく知りたいだけで…。ぜひ詳しい方が読んで下さっているのであれば、コメント欄に書き込んでいろいろ教えてください。

Mk3がデビューした時のカタログ

Mk3がデビューした時のカタログ

Mk3のデビューは1969年10月

1968年にそれまでMINIを製造・販売していたBMC(British Motor Corporation)とレイランドグループが合併し、BLMC(British Leyland Motor Corporation)となる。MINIのバリエーションは一部整理されてしまい、70年代の新シリーズとしてクラブマンが追加される。この2社の合併は当時の英国政府、ハロルド・ウィルソン内閣の産業政策によるもので、赤字だらけのBMCをLEYLANDにくっつけてしまった。当時は従業員20万人、工場は72ヶ所もあり、経営状態は悲惨な状況だったという。(それでもやっぱり業績は伸びず、1975年にLEYLANDは国有化されてしまう…。)

Harold Wilson

Harold Wilson

BLMCの実権を握っていたのはドナルド・ストークスというおっさんで、それまでBMCが精力的に活動してきたレースやラリー部門には全く関心がなく、その分野が及ぼす宣伝効果をサッパリ理解していなかったため、MINIも数ある製品のひとつとしか捉えていなかった。その結果、ジョン・クーパーの功績やパディ・ホプカークの偉業にも興味がなく、両者との関係も終わりを告げてしまう。

それまでMINIのプレミアム・スポーツモデルとしてラインナップされてきたCOOPER SはMk3になってから、1970年3月から1971年6月までの期間で生産され、その後新シリーズとしてラインナップされたクラブマンシリーズの1275GTがそのポジションを担うことになる。

レイランド時代は黒歴史?

MINI関連の書籍をいろいろ読んでいると、デビューから60年代後半までの輝かしい歴史(主にレースやラリーの分野)を作った人物たちは、みんな70年からのレイランド時代を酷評している。先にも挙げたドナルド・ストークスが全部悪いんや!的なコメント多し。

Donald Stokes

Donald Stokes

それもそのはずでストークスのせいでクーパーモデルは終わってしまうわけだが、その言い訳が酷い。「クーパーモデルの保険料率が上がったせいで販売不振に陥ってしまった。」だって。実際のところはジョン・クーパーに支払われていた1台あたり2ポンドというライセンス料を払いたくなかったからというから、このストークスってジジイはケツの穴が小さい男、いや、夢のない男だ。

とにかくレースに関連するコンペティション部門は潰してしまえ!ってことで、ヒーレーとの提携も解消、トライアンフのレース部門も消滅、ジャガーを作っていたブランズ・レーン工場はトラック工場にしてしまったらしい。まぁ、従業員20万人と大赤字を抱える大企業のトップならそう考えても仕方ないような…。

と、やや退屈な内容になってしまいましたがボチボチ調査を進めていきます(`・ω・´)ゞ

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